千年を超える世界最古の演劇、能楽の知恵を、生き方や働き方の変化の時代に生かす

2021年10月1日


今回は、金春流(こんぱるりゅう)能楽師 公益社団法人 能楽協会 https://www.nohgaku.or.jp/ 理事 辻井八郎 先生 https://twitter.com/tsujiihachiro (重要無形文化財総合指定保持者)に、能楽の文化や伝統を踏まえた、現代における生き方や働き方についてのお話をお伺いしました。能楽は日本文化の総合芸術であるとも言われ、また世界最古の演劇であるとも言われています。

 

能においては日本古来の自然や神仏に対する感性が表現されており、民間習俗や倫理観の本質に関するもの・仏教・神道等の色合いが濃いものなど様々なものがあり、伝統的な知恵が豊かに表現されています。様々な常識が変化する今、生き方や働き方への考え方で示唆される知恵についてお聞きしました。

 

能における思想伝統の長さと深さ

 

―――本日はよろしくお願い致します。本日は、時代の変化が大きく起こっている今、能楽を背景にしたお知恵をお聞きできればと思います。まず、先生のご流派である金春流や、能楽の何に注目をすればいいのかをご紹介お願い致します。

 

 

辻井様(以下、敬称略) 本日はありがとうございます。能楽は室町時代に観阿弥(かんあみ)世阿弥(ぜあみ)が大成した大変古い伝統です。金春流はその中でも最古の流派であり、聖徳太子の側近の秦河勝(はたのかわかつ)を流祖としており、1400年を超える歴史を持っています。

 

また、能楽の知恵ということで言いますと、世阿弥や、同時代の金春流中興の金春禅竹(こんぱるぜんちく)といった能楽史上の巨匠が能楽論を多く書いています。「風姿花伝(ふうしかでん)」などは特に有名でしょう。これらは芸術論であり、かつ人生論や哲学としても非常に深さがあるものだと言われています。

しかしそれ以上に、能の演目には、現行曲(げんこうきょく)と言われる200曲以上の演目がありますが、能の宝はまさにこれらだと思います。演目に示される世界観や知恵、完成された型があり、そこから多くの示唆が得られるのだと思います。

 

 

能の演目における女性や高齢者の可能性・役割と深い意味

 

―――能を鑑賞しますと、女性や老人が神であるというようなストーリーが多くあります。現在の日本において、女性活躍や高齢者活用ということがテーマになっている中で非常に象徴的であり、深く考えさせられるように思います。

 

 

辻井様 仰る通り、能の意義というのは様々に考えられますが、多くの示唆を含んでいるとは思います。能には多くの神々が登場します。確かにそれらの神々は、老人や女性であることが多いです。

これは、老人や女性の可能性を感じていたからだということはあり得ますので、現代において非常に示唆があるのはその通りだと思います。

 

さらにその神々の心情にまで踏み込んだ演目が多いですね。

たとえば「葛城(かづらき)」という演目では山の女神の力強さと共に、女神の自分への自信のなさを表すような表現が見られます。これは、大きな力を持つものであっても内面には傷つきやすさがあるということもできるのかもしれません。

 

有名な「高砂(たかさご)」という演目では、老夫婦が松の精として現れ、さらに老翁は実は住吉大神であるということで、最初は老夫婦のゆったりとした生活の雰囲気が表現され、その後に神の大きな力や人間を寿ぐ心情が表現されています。

これらは、先ほど仰られたように女性や高齢者が秘めた力を持っている、活躍できるというメッセージを含んでいることはあり得ますし、その活躍の中にも様々な心情や方向性、配慮すべき点があると言っているということはあり得ます。

 

能における「従来型キャリア」の限界を見極める知恵

 

―――なるほどありがとうございます。女性や高齢者の大きな可能性と共に、内面の考察までされているのかなと思いました。このことは大変深い知恵であり、よく考察すべきことだと思いました。反対に、男性についてはあまり出てこないのですが、男性の、企業で出世するようなキャリア観はいま問題視されています。能の演目における男性の生き方についてはいかがでしょうか。

 

 

辻井 男性が主人公として登場するのは「修羅物」と言って源平の合戦を戦った武将が死後、修羅の地獄に落ちて苦しみ続けるという内容のものがあります。

 

特に武将などですと、男性の仕事は意義がはっきりとしています。しかし、そういう生き方の価値を妄信してしまえば様々な無配慮なことや、本来感じるべき価値を感じられなくなったりするのかもしれません。振り返れば様々な問題が出てくるはずです。そういった、見過ごしてしまった価値を振り返るような意味合いがあるのかもしれません。また、仏教思想における、他の生命を慈しむような思想も深く伺われるものだと思います。

 

 

―――男性の大企業に入って生涯を終えるキャリアがあまり通用しなくなっている、ということはよく言われます。単純なキャリアだと見失われてしまっているものがあるということもまさにその通りだと思います。そういった生き方について、もっと価値や方向性を自覚して、自己確立を行っていくというような意味合いなのでしょうか。

 

 

辻井 確かに、そういう意味合いもあるのかもしれません。人生の意味合いというものは、世の中で広く認められているような生き方を無自覚に行うだけでは十分ではなく、さらにそれを考察し、自分なりの課題意識や感性を生かしていくところにあるということかもしれませんね。能を鑑賞することは自由なものですが、そこまで考えてご覧いただくということにも大変意義があり、我々としても嬉しいことです。

 

人生の意義ということで言いますと、能には様々な考え方、能楽の上での伝統的な教えがあります。たとえば世阿弥の、人生のそれぞれの時期における充実感を「花」として語った教えは有名ですが、私の流儀の金春流には、中興の金春禅竹(こんぱるぜんちく)による「六輪一露の図(ろくりんいちろのず)」というものが伝わっています。

 

これについては、自身の能楽師としての生き方や芸を極めるために、幾度となく考察をしてきました。そして、自分が生きる上で、また芸をより充実したものとし、さらに価値をどのように発揮を行っていくかということの上で深い意味があるように思います。

 

 

金春流の六輪一露図に見る、芸の成長の意味合いと現代のキャリア

 

辻井 六輪一露の図とはこのような図で、出典は金春禅竹の「六輪一露記(ろくりんいちろのき)」になります。

これは能楽の修練を行う上での人間の成長を言ったものですが、能楽だけではなく、人間の生き方全般に応用できるものであると思います。

最初の何も知らない状態から、修練をし始めた初心が寿輪(じゅりん)です。そして、竪輪(しゅりん)はまず稽古を始め、様々な分別をつけていくという意味での縦の線です。そして、住輪(じゅうりん)に至り、自分の根源となるものができ、像輪(ぞうりん)において、芸に通達し、そのままの自己であっても自然に表現ができ、全ての本質と繋がるような行いができるということです。通常はこれが芸の完成であり、キャリアの完成であるとも意識されるのではないでしょうか。

 

しかしその後があり、破輪(はりん)でさらにそれを破り、空輪(くうりん)においては、初心と全く同じところへ戻る、ということが最終地点だということです。

 

これの意味合いが大変難しく、微妙なものでもあります。先程のキャリアということのお話はこの辺りと繋がるのかもしれません。仕事をはじめ、修練をし、さらに広い視野を持てるようになりますが、それはまだまったく途中であるのです。そこを超えて、まるで最初と同じような心情・ありさまになるところまで人間の成長は続きます。これがたとえば能の演目に出てくる、神や霊の成仏の心情なのかもしれません。

 

 

―――これは大変深い示唆を含む貴重な図版だと思います。先程の男性のキャリアということについて言うならば、単に偉くなったり報酬を増やしたりという自分を有利なものにするために生き働くのだということではなく、世の中を見る認識の形成や、生きる態度を学ぶために我々は生き、働くのだということが表されているように思いました。

 

 

能楽に表される人生の価値

 

 

辻井 はい、そういった生きるテーマが能楽論であり、能の演目などを通じて伝えたいことである、ということについてはとても共感するところがあります。男性の生きる姿で印象的なもので言いますと、能の「安宅(あたか)」という演目があります。落ち延びる源義経の一行の話ですが、武蔵坊弁慶が義経だとばれないように、自分たちが山伏であって武者の一行ではないということを必死に主張する場面があります。

 

今、装束をつけない「仕舞(しまい)」という形で舞ってみましょう。

男性の生き方という面で言えば、ここには自己の栄達や利益ということを離れ、自分の辿り着いた価値を全身全霊で実現しようとする姿があります。舞をご覧になり、何を感じられましたか。能から感じるものは自由ですし、能のとらえ方も自由だと思います。

能を見ている最中には、ヒーリングのような、型の口上や動きから癒されるような場面もあると思います。ぜひご覧いただき、自由にお感じになって頂き、生き方や働き方への考察も深めて頂ければと思います。

 

 

能楽師としての、プロとしてのキャリアにおける重要な点 自己確立と相互の刺激

 

―――お話だけでなく、能そのものの表現にまで触れる形でのお伝えをありがとうございます。能楽師としての表現や、能楽師としてのキャリアのあり方ということについてもお聞きしたいと思います。辻井先生が一人のプロフェッショナルとして完成された表現を行う上で、今までに重要だった修練や場面というのは何があるのでしょうか。

 

 

辻井 能の稽古を始めたのは10代よりも前です。私の母が能楽師だったのですが、その関係で、母の師匠の金春流の家元にところへ行き、稽古を始めたのが最初でした。

能楽の現行曲(げんこうきょく)と呼ばれる、伝統的な演目は200ほどありますので、それを1つ1つ学んでいくことになります。キャリア上、もっとも影響があったのは、能楽師同士でグループを組んで、それで研鑽や発表をし始めた事です。

 

「座・SQUARE(ザスクエア)」http://www.zasquare.com/ という能楽師の同人の集まりで、現在も年に数回の演目の発表をしております。能楽師は基本的に一人で研鑽する世界ですから、他の方と多く接し、それぞれの技能や見地を共有しつつ研鑽する、ということには大変な刺激がありました。最も大きいことで言えばそのことだと思います。

 

既に持っている技能についての自信にも繋がりましたし、ただ視野が狭かった部分は多く、それを開くことや、さらに能の意義というものについても様々に考える機会となりました。技芸をつけるということについては、まずは師匠や良い前例について自己確立することが第一ですが、それを共有し刺激し合える仲間の存在というものは大いに刺激を与えるものだと思います。

 

 

―――現在の社会で、スキルの習得や自分でキャリアを開いていくうえで、大変示唆に富んだお話でした。まずはスキルを確立したのちに、それを深められる人間関係やコミュニティを持つことの意義は深いと思います。

 

伝統の価値と仕事の価値、場との調和による芸の完成について

 

 

―――能を演じる上で、一糸乱れず統合した上演が行われているように思いますが、集団での事前のリハーサルや訓練というものはどの程度行われどういった相互の調整がなされるものなのでしょうか。また本番における工夫や良い演じ方のポイントのようなものはあるのでしょうか。

 

 

 

辻井 結論から言いますと、通常はリハーサルのようなものは一回だけ、本番の数日前に「申し合わせ」と言って一通り通して演じます。基本的にはそれだけですが必要があれば進め方の要所について話し合うことはあります。

 

考察をしますと、これは我々の芸というものが流派の発生からは1400年を超えた伝統であり、中興の世阿弥や禅竹からも600年を超えた伝統の厚みと確かな価値のある確立した型があるからこそのものだと言えるのかもしれません。

一つ一つの上演における調整はそれだけではありますが、我々能楽師は人生の大部分の時間を使い流派の伝統の中での日々の稽古と現行曲の習得を行っています。上演において行われることは定まっており、修練を重ね一人一人が習得をしていることについて信頼があるのだと言えます。

 

上演の時間の中で、たとえば囃子方(はやしかた 能の音楽を司る人、お囃子)との間で、演ずる中で拍子について言葉でない対話や調整をしていたり、演ずる全ての者の間で流れの確認を行っていたりという意識はあります。

 

 

 

演目は、能の中興の祖の世阿弥(ぜあみ)の「風姿花伝(ふうしかでん)」の秘伝にもありますが、場の陰陽を踏まえて上演するということが言われます。たとえば暑いときにはゆったりと、寒いときには熱く演ずることで、場の陰陽に調和し、演目を見る顧客との一体の場ができていくのです。

 

型を身に着けた上で、ひとつひとつの場に最も調和したありかたを探求することが重要だと思います。
こうしたひとつひとつの場を大事にし、今後も芸の修練において自己を探求することを主題に置き、しかし伝統というものの価値を離れず、先に申し上げた六輪一露の図(ろくりんいちろのず)の「空輪(くうりん)」のような境地、まったくの初心において全てが捉えられるような境地において能の意義を発揮する自己であることを目指して、今後も歩みたいと考えております。

 

 

 

 

取材をした社労士より

 

大変に意味深い取材でした。能というものが日本文化の結晶であり、また我々が重視すべき知恵の結晶であるということが体感できた稀有な場でした。

 

取材にも出てきた、世阿弥の風姿花伝や金春禅竹の能楽書を取材の前後に読みましたが、大変に含蓄が深く、仕事論・キャリア論として受け取ることができると共に、深い存在論や認識論も含み、我々が生き働き、他者とともにあり、成長するということがどういうことなのかを俯瞰し得るような論点が多数書いてあるものです。

 

こういった日本の貴重な知恵を現在の時代の変化の時期には深く受け取ることが大変重要であろうと思いました。また、何よりも能の演目のメッセージ性や深い価値には目を見張るものがあります。そこには、取材で触れたような現代のダイバーシティのみではなく、自然を重視し自然と共生するようなサステナブルな価値観や、時間空間において離れたところで共に生きるための現代的な人生論や仕事論、人を思いやるというのはどういうことかといった現代において解決することが必須である人事や経営の論点が豊富に含まれていると思います。

 

本取材もきっかけとして、能の鑑賞には何度も参りました。まず面白さや心地よさがあるとともに、静と動のいずもれ表現される場であり質の高い深い空気の中で、日々の自分の生き方やありようを振り返ることができる場であると感じました。自分が生きる意味を深く捉えていく必要があることを強く思いました。我々の根底にある文化性を見直していくことが、生き方や働き方の今後の時代における確立に繋がっていくものであると思います。

 

(東京都社会保険労務士会 HR NEWS TOPICS編集部 松井勇策)